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東京地方裁判所 平成4年(行ウ)27号 判決 1992年7月14日

原告

内藤厚

被告

社会保険庁長官末次彬

右指定代理人

山田好一

及川まさえ

高田勲

彦田秀雄

神田弘二

山崎和博

主文

一  本件訴えのうち、船員保険法による脱退手当金として原告に対し、金一二五三万一五七八円を支給すべきことを求める訴えを却下する。

二  原告のその余の訴えに係る請求を棄却する。

三  訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第一請求の趣旨

一  被告が昭和六四年一月六日付けでした原告に船員保険法による脱退手当金九万四三六五円を支給する旨の処分を取り消す。

二  被告は、原告に対し、船員保険法による脱退手当金として、金一二五三万一五七八円を支給せよ。

第二事案の概要

一  本件は、医師である船員として船舶所有者に使用され、船員保険の被保険者であった者が、その被保険者期間を四七か月として脱退手当金を支給されたことにつき、その算定方法を定めた船員保険法の規定は違憲無効であるから、その主張する算定方法によってその額を定めるべきであり、また、右脱退手当金の支給は、真実は五六か月である被保険者期間を誤っていると主張して、その取消しを求め(以下、この請求を「本件処分取消請求」という。)、併せて、その主張する右の算定方法により、かつ、被保険者期間を五六か月として算定される額の脱退手当金を支給することを求める(以下、この請求を「本件支給請求」という。)ものである。

二  脱退手当金に関する法制

1  船員保険法(昭和六〇年法律第三四号による改正前のもの、以下「旧船員保険法」という。)によって支給される脱退手当金について、これを定める同法四六条から四九条までの規定は、右改正により削除され、廃止されるに至ったが、同法による脱退手当金であって右改正後の船員保険法の施行日(昭和六一年四月一日、同法附則(昭和六〇年法律第三四号)一条)においてまだ支給していないものについてはなお従前の例によるものとされた(同附則八七条八項)。

2  旧船員保険法によれば、船員保険の被保険者期間が三年以上である者であって、船員保検の老齢年金の支給する要件である同法三四条一項各号のいずれにも該当しないため右年金の支給を受けられないものが、六〇歳に達した後被保険者の資格を喪失し、又は被保険者の資格を喪失した後被保険者となることなくして六〇歳に達した場合において、同法三九条以下の定める通算老齢年金を受ける権利を有するにも至らないときは、その者に脱退手当金を支給するが(同法四六条一項柱書本文)、障害年金を受ける権利を有する者等同項各号の一に該当する者(同項柱書ただし書)及び現に傷病手当金又は失業保険金の支給を受ける者(同条二項)については脱退手当金を支給しないものとされている。脱退手当金の額は、平均標準報酬月額(被保険者の報酬月額(同法四条の二)に基づいて定められる標準報酬月額(同法四条)を「被保険者タリシ全期間」にわたって平均した金額をいう。同法二七条の三第一項)に、その者の被保険者期間によって同法別表第三に定める月数を乗じて得た金額であるが(同法四七条)、障害年金又は障害手当金の支給を受けたことのある者に対し支給する場合においては、その額は、右の金額からその支給を受けた障害年金、障害手当金及び同法四二条所定の障害差額一時金の総額を控除した金額とするものとされている(同法四八条)。

3  船員保険の被保険者は、船員として船舶所有者に使用されるに至った日からその資格を取得するが(同法一八条)、その資格の取得又は喪失は、都道府県知事の確認によってその効力を生ずるものとされ(同法一九条の二第一項)、右の確認は、船舶所有者の届出(同法二一条の二)、被保険者若しくは被保険者であった者の請求(同法二一条の五第一項)、又は職権によってこれをするものとされている(同法一九条の二第二項)。

三  争いのない事実

1(一)  原告(大正一三年五月一一日生)は、別表記載の各期間において、医師として船舶に乗り組み、船員保険の被保険者であった(旧船員保険法一七条、船員法一条一項、二条一項、三条、同法施行規則二条三号)。その資格を有していた被保険者期間は、右各期間を通算した四七か月に及ぶが、旧船員保険法三四条一項各号には該当しない。

(二)  原告は、被保険者の資格を喪失した後被保険者となることなくして、昭和五九年五月一一日六〇歳に達した。原告は、通算老齢年金を受ける権利を有するに至らず、また、同法四六条一項各号の一に該当する者及び現に傷病手当金又は失業保険金の支給を受ける者のいずれにも当たらない。

2(一)  原告は、昭和六二年一一月一四日被告に対し、脱退手当金の支給の請求をしたところ、被告は、昭和六四年一月六日付けで、被保険者期間を四七か月とし、これに基づいて計算した金額九万四三六五円の脱退手当金を原告に支給する旨の処分(以下「本件処分」という。)をした。

(二)  原告は、本件処分につき、平成元年二月二三日北海道社会保険審査官に対し審査請求をしたところ、同審査官は、同年九月二五日付けで右審査請求を棄却する旨の決定をした。原告はさらに、右決定につき、同年一一月二四日社会保険審査会に対し再審査請求をしたところ、同審査会は、平成二年一二月二一日付けで右再審査請求を棄却する旨の裁決をし、原告は、同月二三日右裁決があったことを知った。

四  争点及びこれに関する当事者の主張

1  本件支給請求に係る訴えが適法なものといえるかどうか。

(一) 被告の主張

本件支給請求に係る訴えは、被告がその給付の処分をすることを前提とするから、いわゆる無名抗告訴訟としての義務付け訴訟に当たるところ、そのような訴訟は、日本国憲法(以下「憲法」という。)の採用する三権分立の建前からして、原則として許されないものと解すべきである。また、原告は、本件訴えにおいて本件処分取消請求をしているから、仮にこれが認容されれば、取消判決の拘束力により、被告はその判決の趣旨に従って処分をしなければならないこととなり、原告の目的はそのことによって十分に達成されるものであって、本件支給請求に係る訴えを許容すべき必要性は認められない。

よって、右訴えは不適法である。

(二) 原告の主張

本件支給請求は、本件処分取消請求と、相伴い、相関連し、表裏一体をなす請求である。被告は、これが無名抗告訴訟としての義務付け訴訟であるから不適法である旨の主張をするが、右主張は、そのいうところの三権分立の建前の憲法上の根拠条項を明示せず、また、右義務付け訴訟と憲法との関係も示さず、三権分立の原則を曲解するものであって、失当である。

2  旧船員保険法四七条等の脱退手当金の額の算定方法に関する規定は、憲法一四条、二九条に違反するから、これらの規定を後記原告の主張のとおり修正して適用しなくてはならないといえるかどうか。

(一) 原告の主張

船員保険は、政府が管掌し、船員の福祉の増進を目的とする社会保険であり、旧船員保険法の定める被保険者から強制的に徴収した保険料を基金として運用されるものである。したがって、被保険者期間の長短について個別の被保険者には責任がないから、これによる金銭給付の額は、被保険者期間の長短にかかわらず、その被保険者の納付した保険料の総額及びその据置期間に比例したものでなくてはならない。これと異なる見地から給付の金額の算定方法を定める規定は憲法一四条、二九条に違反するに至るものと解すべきである。

旧船員保険法は、被保険者期間が一五年以上である者と一五年未満である者とにつき、前者には老齢年金を、後者には脱退手当金を支給することとしているが、その給付額をみると、後者において前者の一年分の給付額の三分の一以下の額を更に被保険者期間に比例して減額させて得られた金額を、僅か一回支払うのみであり、被保険者期間が一五年以上の者と一五年未満の者とにおいて、労働や納付した保険料の総額の間に質的な差のないことは明らかであって、これは理由のない差別である。したがって、右算定方法を定める同法四七条等の規定は、憲法一四条、二九条に違反するから、憲法の右各規定に適合するよう、各被保険者の納付した保険料の総額及びその据置期間に比例する金額の給付を保障するという見地から、次のとおり老齢年金の算定方法に準じ、修正して適用されなくてはならない。

脱退手当金の額は、定額と報酬に比例した金額との合算額とすること、標準報酬の額の算定に当たっては、物価上昇に応じてこれを再評価するため、旧船員保険法四条の定める標準報酬額に一定の率を乗ずること、右報酬に比例した金額の算定に当たっては被保険者資格喪失から給付開始までの期間の物価上昇に応じた率を乗じること、右定額は老齢年金の定額(旧船員保険法三五条一号)を基礎とし、被保険者期間に応じた額とすること、以上のような算定方法に依拠するべきであり、これに従い、かつ、被保険者期間を後記3(一)の原告の主張のとおり合計五六か月として、原告の六七歳の時における平均余命一六年分を加算し、二八年分の年金を一括払するものとし、その合計額を算定すると、一二五三万一五七八円となり、これが原告の脱退手当金相当額である。

(二) 被告の主張

脱退手当金の算定方法を定める旧船員保険法四七条等の規定が憲法一四条、二九条に違反するとの主張は争う。

脱退手当金の算定方法については、旧船員保険法は、前記第二の二2のとおり定めている。これによれば、原告の平均標準報酬月額は一〇万四八五一円であり、その被保険者期間は前記第二の三1(一)のとおり合計四七か月であるから、これによって定まる同法別表第三の月数は〇・九となるので、その脱退手当金の額は九万四三六五円となる。

3  原告の被保険者期間は、前記第二の三1(一)の争いのない四七か月のほかにあるかどうか。

(一) 原告の主張

原告は、昭和三四年三月から同年一一月末まで(以下、この期間を「本件期間」という。)、大洋漁業株式会社が所有し、株式会社北海道漁業公社が傭船していた船舶照玉丸に、医師として乗り組んでいた。したがって、原告は、右期間において船員保険の被保険者とされるべきであるから、原告には、本件期間に係る被保険者期間として九か月があり、その被保険者期間は、右争いのない四七か月と併せて合計五六か月となる。

(二) 被告の主張

本件期間における原告の被保険者の資格の取得について、旧船員保険法一九条の二に基づく確認はされていないから、本件期間において原告が右資格を有していたとすることはできない。

また、被告の保管する船員保険被保険者台帳の記載によれば、昭和三四年当時右照玉丸に乗り組んでいたと見られる船長以下の船員については、当時照玉丸を実際に運航していた大洋漁業株式会社を船舶所有者として、被保険者の登録がされているにもかかわらず、原告についての記載はない。このような事情からすると、原告の主張する事実は認められない。

第三争点に対する判断

一  争点1(本件支給請求に係る訴えの適法性)について

1  本件支給請求に係る訴えは、被告が原告にその主張のような給付をするには旧船員保険法上被告がその趣旨の給付処分をすることが必要であるから、結局被告にそのような処分を義務付けようとする無名抗告訴訟としてのいわゆる義務付け訴訟として提起されたものと解せざるを得ない。しかるところ、公権力の行使に当たる行政庁には第一次的に公定力を伴う判断権が留保されているから、行政庁が右の判断権を行使して具体的な決定を下す前に、裁判所が予めその判断権の行使を拘束するような裁判を行うことは極めて例外的な場合においてのみ考えられるものというべきである。このことに、行政事件訴訟法の諸規定の文理及び趣旨、殊に、行政庁が法律上作為義務を負う場合においてすらその不履行に対し所定の要件の下で不作為の違法確認訴訟が認められているに過ぎないこと(同法三条五項、三七条)を併せ考えると、右のような無名抗告訴訟としての義務付け訴訟が許容されるには、少なくとも、このような事前の司法審査によらなければ原告の権利利益の救済が図られず、回復の困難な損害が生ずるため、これを避ける緊急の必要があると認められる場合でなければならないものと解される。

2  これを本件についてみると、本件支給請求は、要するに、本件処分は、憲法に違反する旧船員保険法四七条等の規定によって脱退手当金の金額を算定したものであり、かつ、原告の被保険者期間を誤認したものであるから、原告の主張のとおり憲法に適合するように右規定を修正した算定方法により、かつ、その主張に係る被保険者期間を基礎として算定される額の脱退手当金を原告に支給する旨の処分をすることを求めるというものである。

しかして、申請を却下し又は棄却した処分が判決により取り消されたときは、その処分をした行政庁は、右判決の趣旨に従い、改めて申請に対する処分をしなければならないものとされているから(行政事件訴訟法三三条二項)、一般に、右のような申請に応じた処分をすることを求める請求については、申請に対して現実にされた却下処分又は棄却処分の違法を主張し、その取消しを求めることによって、原告は、その目的を達することが十分に可能であり、原告は、前記第二の一のとおり、現に、本件支給請求と併合して本件処分取消請求をもしているものであるから、これによって、本件支給請求の目的とする権利利益の救済に欠けるところはないものと認められる。

3  そうすると、本件支給請求に係る訴えは、右1に判示したような、無名抗告訴訟としての義務付け訴訟を認めるべき必要性がある場合に当たらないから、不適法である。

二  争点2(脱退手当金の算定方法の憲法適合性)について

1  前記第二の二の旧船員保険法の各規定並びに老齢年金及び通算老齢年金(以下、併せて「老齢年金等」という。)の各支給要件を定める同法三四条、三九条によれば、同法は、老齢となった船員の生活の保障については老齢年金等の年金給付によってこれを行うのを原則とし、例外的に何らかの事情により被保険者期間が短いために右の年金給付を受けられないこととなる者についても、その納付した保険料の一部を還付し、もって、特にその老後の生活につき一定の保障を行う趣旨で、右のような脱退手当金の制度を設けたものと解される。

2  老齢年金等の保険給付を受けるために一定の期間被保険者であったことを要求するのは、保険財政の上からやむを得ないことであり、その期間をどの程度の長さとするかは保険財政と保険給付の均衡の見地からする立法者の裁量に委ねられた事項というべきである。同法は、右期間を原則として一五年としたが、このように定めることは、優に右の立法者の裁量の範囲内にあるといい得る。そして、右期間に達しない者につき支給するものとした脱退手当金の支給額の算定方法についても、これが右にみたように、その納付した保険料の一部の還付の意味のある例外的な保障である趣旨にかんがみて、平均標準報酬月額に、その者の被保険者期間に応じ同法別表第三に定める月数を乗じた額としたことも、立法者の裁量によるものとして何ら合理性に欠けるところはない。右の額に物価上昇率が反映されないという点については、脱退手当金が一時に支給されるものである以上当然のことというほかはない。原告の主張は、いずれも独自の見解に基づくものであって、到底採用の限りではない。

3  以上のとおり、旧船員保険法が、脱退手当金について老齢年金等とは異なった支給要件、支給金額等を定め、その限度で老後の所得に関する保障を行うこととしたことをもって、何ら合理的理由のない不当な差別的取扱いとはいえないから、同法の各規定が憲法一四条に違反するものではなく、また、右の各規定が脱退手当金の支給を受ける者の財産権を不当に侵害するとはいえないこともまた明らかであるから、右の各規定は憲法二九条に違反するものでもない。

そうすると、原告の主張は、その前提において失当であるから、採用することができない。

三  争点3(原告のその余の被保険者期間の有無)について

前記第二の二3に判示したとおり、被保険者の資格の取得及び喪失の効果は、旧船員保険法一九条の二の定める確認がされて初めて発生するものであり、同法一七条所定の者となったにもかかわらず、被保険者の資格の取得の確認がされない場合においては、同法二一条の五によって確認の請求をすべきであって、それをしないまま保険給付に関する不服の訴訟において被保険者の資格を取得したことを主張しても、その主張は失当というほかはない。

しかして、原告の本件期間に係る被保険者の資格の取得について同法一九条の二の確認がされた事実の主張立証はないから、原告のこの点に関する主張はそれ自体において失当である。

四  そうすると、本件処分に原告の主張する違法はないこととなる。

第四結語

以上によれば、本件訴えのうち本件支給請求に係る訴えは不適法であるからこれを却下することとし、本件処分取消請求は理由がないからこれを棄却することとする。

(裁判長裁判官 中込秀樹 裁判官 榮春彦 裁判官 長屋文裕)

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